2011-02-28

2011.02.28 イストラ半島紀 11:モスタル2/2

11 モスタル2/2

 旧市街は、創造以上に賑わっていた。歴史地区は、古橋を中心に世界遺産にも登録されているそうで、中心地はホテルやらレストランやらが並んでいる。ふらふらお土産物なんかを見ていると、かつてのオスマン帝国支配の影響か、オリエントな雰囲気があって面白い。ここは完全に融合文化だ。観光地ではあるけれど、こぢんまりと落ち着きを保っていていい町だ。旧市街観光の中心で、民族紛争終結のシンボルでもある古橋は、中心が歪曲したアーチ状で、長さは30メートル程だろうか。幅は5メートルもない。上に行ってみると、外から見るよりかなり高く感じる。ブランコのはなしでは、夏にはここからダイブする人がいるらしいけど、本当だろうか。橋の中心地点、一番高い場所、その位置から町を眺めてみる。そうすると、この町の歴史をはっきり見ることができる。敵対していた民族の居住区が、ネレトバ川を境に分離されている。東側にはモスク、西側にはカトリック教会といった具合に。かつてのボスニア紛争で、セルビア人勢力とユーゴ連邦軍によって砲撃され、のちに、クロアチア人とボスニア人の間に起った紛争では、この川の両側に分かれての激戦となったらしい。ここからみるかぎり、傷痕と言えるはっきりしたものは見えないが、はっきりと見える民族の境界線がある。この境界線オンラインの位置から、その両方を眺めることができるのは、単一民族である日本人か、どちらの民族感情も持ち合わせない遠方からの旅行者か、勇気あるダイブ青年だけのようだ。今でも地元の人たちが、この線を超えることはあまりないと聞いた。

 こうして美しい景色を眺めながら、いくら思いを馳せてみても、そこからつながる何かがあるとは思えない。全く自分と関係がないこの地域の特徴的な歴史や民族感情を見聞きしたところで、良心やら中途半端な正義感がくすぐられるようなこともない。そうなれば、この旅の経験は、どこで自分と重なるのか。そんなことを考えながら、もう一度橋の最上部から、はるか下の水面に目を向けると、ここからダイブする勇敢な青年の軌跡がはっきり描けた。両岸からはたくさんの見物人の視線が集まっていて、水面に青年の顔がひょっこり浮かび上がった瞬間、大歓声が起こる。東西が一つになる瞬間かもしれない。想像の世界から聞こえてくる聴衆の手拍子に促されて、目の前の手すりの上に立ってみようか。そこに立った時、分離された左右の居住区を意識するだろうか。町の外壁に、内戦の爪痕を探すだろうか。なるほど、そういうことか、なんだか見えてきたぞ。はっきりはしないけれど、少しずつみえてきた。過去にとらわれて現在が見えていない自分の姿が。

モスタルの旧市街、世界遺産、古橋の上にて。飛び込む勇気はないとしても、この旅の本質に気づき始めている。

つづく

Mateo=Rich

2011-02-25

2011.02.25 イストラ半島紀 10:モスタル 1/2

10 モスタル 1/2
 美しいのは分かっていた。しかし、これほどまでとは。バーナードショーがこの世の天国と言ったのがうなずける。俗っぽいが、美しいのだから仕方ない。旧市街を囲む2キロ弱の城壁の上を、カメラ片手に歩き回った。ドゥブロブニク旧市街は、プラツァ通りと呼ばれるメインストリートが、中心部のルジャ広場まで続いていて、その両脇には、観光客向けのショップやらカフェやらが立ち並んでいる。もちろんビルトイン形式。坂や階段の多い裏路地が各方角に続いていて、旧市街の中で進行している現在の人々の暮しを感じることができる。また、要所要所に大聖堂やら修道院やらもあって、一大観光地として不足がない。ちょっと長いけれど、城壁を一周すれば、そんな風に全貌が見えてくる。さすがに足も疲れてきて、裏路地のカフェで待っていたブランコと合流。カメラの液晶を見せながら冷め止まぬ感動を伝えた。砂糖多めのカプチーノを飲みながら一息ついて。さて今日はどこへ行こう。


以前から抱いている、この地で起きた過去の内戦への興味は、すでに確実なものになっているけど、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの主要都市をいくつも回るには、さすがに日程がタイト過ぎる。ここは欲を出さない方がよさそうだ。明日には首都ザグレブにいたいから、その道のりを考えると、南部の都市モスタルに的を絞るのが賢明かもしれない。ブランコの話では、モスタルへは二時間程、サラエボへいくには、そこからさらに二時間程かかるらしい。サラエボは次回以降にお預けだ。

 モスタルの町へは、アドリア海に注ぐネレトバ川を上流方面へ車で二時間。ブランコのルノーの場合はそれより十五分ほど早い。その道のりは、これまでクロアチアの海岸沿いで見てきた景色とはだいぶん印象が違う。ときどき出現する小さな村は、気のせいかどこか物悲しく映る。ネレトバ川の中流域に差し掛かったあたり、西からくる支流との分岐点に架かる橋を過ぎると、視界が一気に開けて、モスタル国際空港が見えてくる。滑走路は一本。周辺が農地ばかりだから、離れた位置から見ると不毛の荒野のように映る。ここまで来れば、モスタルの町はもう目の前だ。

つづく

Mateo=Rich

2011-02-22

2011.02.21 イストラ半島紀 9:陸の方角

9 陸の方角

 深酒明けでむかえるスプリットでの遅めの朝。体調はそこそこ。ややもたれ気味の胃袋も、さわやかな窓の景色を前に、さほど気にはならない。明らかに国籍が違う上半身裸の男が二人、ホテルの窓から外を眺め、何やら楽しそうにお話している景色。外から見た人は、それこそ胃にもたれるかもしれない。ここに来てなんだか旅にも慣れてきた。なるようになればいい。そんな余裕が今はある。もちろん、ブランコの存在あってこそ。さあ、今日は何をしよう。

 ブランコのお勧めで目指したのは近くの朝市。そこで食べるサンドウィッチは最高らしい。それを買って、一気に最南端の地、ドゥブロブニクを目指そうという。とてもいいアイデアだと快諾し、徒歩で向かった。朝市は地元の人たちで賑わっていて、品目は果物や野菜が中心。種類が豊富だから、見ているだけでも楽しくなる。会場の一番奥まったあたり、コンテナの側面の一部を切り抜いて、カラフルな日よけをつけたスタイルの露店を見つけると、そこがサンドウィッチのお店だ。大きなメニュー板が二枚かかっているけれど、英語表記ではないようでよくわからない。ブランコ任せで出てきたのはチキンサンド。たっぷり野菜の上にチキン。かためのパンにマスタードの酸味。これでうまくないはずがない。今日も一日、楽しくないはずがない。そんな気分にさせる味だった。

 スプリットを出ると、しばらくは、お馴染みの海岸道路が続いていた。それを抜けると今度は肥沃な田園地帯が広がっている。これは意外な展開。道の両脇には柑橘系の露店が並んでいる。クロアチアでこんな景色に出会うとは思ってもみなかったから、思わずミカンを一袋購入して田園風景とともに味わった。大きな紙袋に小ぶりのミカンだったから、とにかく大量だ。その大量のミカンと挑むのは峠道。ひとつ峠を越さねばならない。道幅が狭く、日本のように頑丈なガードレールが完備されているわけではないから、断崖絶壁を走っているようだった。そこを何とか切り抜けると、これもまた不思議なことに、一時的にボスニア・ヘルツェゴヴィナへ入る。10キロもあるかないか程の短い区間。ボスニアと聞くとすぐに紛争を思い浮かべてしまうが、最南部のこのあたりでは、その爪痕を見るようなことはなかった。あったのは、それまでと何も変わらない小さな町の風景と、町はずれにある小さな土産物屋。そのお店は、観光客を見ると、すぐにチョコレートの試食を勧めてくるらしい。特に日本人旅行者の一団が来ると、執拗に勧めるのだという。チョコレートはいらないけど、せっかく入国したんだ、レッドブルでも飲もうと店内に入った。早々に噂のチョコレートが山のように積まれていた。右側の壁に沿って冷蔵ものが並んでいる。積極販売は無し。伸ばしっぱなしの髭が効いたか。左側面は生活用品。奥には冷凍もの。チョコの山を除けば、日本のコンビニエンスストアと内容はほとんど変わらない。冷えたレッドブルを二本とコカコーラを一本、レジ横の怪しげな煙草を一箱、支払いはユーロ可だ。せっかくだからおつりはマルカ(ボスニア・ヘルツェゴヴィナの通貨)でもらえないかと頼んでみたら、快く応じてくれた。こういうのがうれしい。駐車場でブランコとレッドブルを注入。もう夕方になっていた。

 海の方角南向き、夕日がとてもきれい。アドリア海に浮かぶ小さな島々が見えて、そのうちの一つが、夕日をうまく吸収して、小さなモンサンミッシェルを思わせるたたずまい。海を渡ればそこはイタリア。ちょっと肌寒いのは、思いを馳せるのに丁度よかった。陸の方角北を向けば、その先にはボスニア紛争の爪痕残るモスタルやサラエボがある。今夜の宿はドゥブロブニク。確かに一度は行ってみたかった場所の一つだけど、もっと深く引き付けられる何かを、北の方角に感じ始めていた。世界遺産もほどほどに、明日はそっちへ向かってみよう。

つづく

Mateo=Rich

2011-02-18

イストラ半島紀 8:スプリットの夜

8スプリットの夜

 スプリット内にブランコの友人は何人いるのか。本日二件目のブランコ関連のお店へ向かっていた。市街地にある日本人が経営するというアパートメントホテルから、北北西に伸びる通りを進んでいる。市街地を抜けると、大豪邸が並ぶ富裕層ゾーンに突入し、個人の所有とは思えない程の広大な庭が競うかのように続いている。ここまで来ると庭というより森だ。富裕層の森を過ぎると、次は生活感あふれる集合住宅ゾーンに入る。不思議に思うのはベランダがないことだ。エアコンのファンが外壁に直接くっついている。ここではエアコンの設置も命がけかもしれない。宙吊りのエアコンゾーンを抜けると、突然巨大な競技場が現れる。日本でも知られている通り、こちらではサッカーが熱い。ブランコの話では、ライバルであるザグレブのクラブチームとの試合の日は、車を乗り入れない方がいいらしい。ナンバーによっては襲われるのだろうか。この恐ろしいフーリガンゾーンの西側には、のんきなヨットハーバーがあって、それら両極端な二つのゾーンを見渡せる位置にお店はあった。お昼のお店も小さかったけれど、ここはさらに二回り程小さい。レストランというよりは、日本でいう飲み屋のイメージで、完全に地元仕様だ。入り口は両扉、奥に開くタイプ。ちょうど扉が当たらないぎりぎりの位置には、もうテーブルがある。顔を近づけないと外が見えないくらいの小窓が二つ。ボロボロのワーゲンが停まっているから景色といえば日に焼けた車の塗装が見えるだけだ。こいつはいい。こういうのを待っていたんだ。郷土料理もほどほどに、酒を飲もう。そんな風に、愉快で長い夜がはじまった。

 小さなグラスを満たしているのは自家製の酒。ラキヤという種類らしい。フレーバーにハーブを加えているのがこの店の特徴だと言っていた。やや粗めの苦みが喉の奥から鼻に向かって一気に抜けていく。これが自慢のハーブフレーバーだろうか。うまいというよりは癖になりそうな味だ。ラキヤがまだ残っているうちに、大皿が三つ運ばれてきた。もうテーブルはひじをつく余地もない。スープにはまたしても手長エビ。こんなに早く再会するとは。そして生ハムに魚介のサラダ。オリーブがいいかんじだ。いつの間にかグラスも空いている。魚介となればワインは白だ。イストラ産のワインはあるのだろうか。互いがグラスを軽く持ち上げると、夜がまたひとつ深まるのを感じた。

 テーブルには空いたボトルとグラスしかない。いつの間にやら二人はすでに深いゾーンにいる。おぼつかない足取りでカウンターへ流れ込んだのはブランコだ。自然と後に続いてハーブ入りのラキヤを再び、こいつがたまらなくうまい。今度はなんだい、メンバーが一人増えているじゃないか。知らないうちにブランコの友人が加わって三人体制。お店の切盛りはいいのだろうか。そんな心配をよそにブランコは実にシンプルに友人を紹介してくれた。マリオといって、とてもいい奴らしい。こんないい奴らと飲めて、俺は幸せだと二人に伝えた。それ以外に何を話していたかはあまり覚えていないが、マリオの風貌は忘れようがない。チャーリーブラウン。実写のチャーリーだった。小柄で小太り、口の周りをぐるっと一周髭が茂っていたのは店の雰囲気に合わせたのか、そこがチャーリーとの唯一の相違点だと言える。人数も増えてラキヤの夜は深まるばかり、もう何度目の乾杯なのかもわからない。メイン照明は消され、明かりはカウンター上の古びたランタン一つだけ。このクールな演出は誰の仕業か。当然他の客などいない。話がスプリットで水揚げされる海老の話になったとき、始まったのはブランコ劇場。老人が昔話を話すように、慌てず、どこか厳かな口調での語りだった。時は1984年。サラエボオリンピックが開催された年までさかのぼるらしい。友人のボートでアドリア海沖へ、当時巷で噂になっていた巨大海老を、ブランコが素潜りで捕獲した、という内容の完全なるフィクションだった。両手を大きく開いて、その巨大さをアピールするブランコと、それでも表現しきれない部分を、友人マリオがさらにその両手でもって補っていた姿が傑作だった。まるでスーパーマリオブラザーズ。その海老は、聖火で焼いたのだとマリオが付け加えていた。兄貴分のいいアドリブだった。フィクションがありなら、こちらはこちらででっかいことを言ってやろうと、かつての黄金の国ジパングを築き上げたのは俺の先祖だ、と吹かしてやった。そして日本人は聖火で海老を焼いたりしないこと、焼くのであれば、七輪というコンロを使うこと、そしてネタはマツタケかサンマであることを補足した。二人は声を上げて驚いてくれた。最高にいい奴らだと思った。このまま明けなければいい。そんな風に思う、愉快で長い夜だった。

2011-02-15

イストラ半島紀 7:スプリット歴史地区

7スプリット歴史地区
 お腹がすいた。スプリットでの遅めのランチは、ブランコの知人が営む小さなレストラン。メニューは海老らしきものがのったトマトのパスタだった。カタカナでも表記のしようがないような、良くわからない単語を言っていたから、おそらくその海老らしきもののことを言っていたのだけど、結局何もわからなかった。少なくともシュリンプとは言っていない。経験から予想するに、多分あれは手長エビだ。味はとてもおいしい。トマトの酸味も絶妙だった。お腹はいっぱい外は陽気。宿ならいくらでも空いてそうだ。今日はこの町でゆっくりしよう。

 夕方落ち合う約束をして、この旅初めての別行動。ディオクレティアヌスの宮殿近くのターミナルで車を降り、宮殿入り口に向かう緩やかな坂を歩いて行くと、なんだか過去に味わったことのない、不思議な感覚に落ちていった。宮殿の外壁に沿って立ち並ぶ露店群は日本で見るフリーマーケットとほぼ同じ景色。外壁の窪みという窪みには、有名ブランドがビルトイン形式で軒を連ねているが、少し視線を上げると、帝の宮殿のいたるところから、洗濯物が干してあるのが見える。この独特なハーモニーが何とも言えない。旧市街に洗濯物はよく見るけれど、ここは一味違う。城壁の穴ぼこから洗濯物なのだから。どこかの教授がうまいことを言っていたのを思い出す。ここは生きた遺跡なのです。

宮殿内部は正直想定の範囲だった。うろうろしているのは観光客ばかりだし、そのほとんどは団体で、現地ガイドと、通訳を兼務する旅行代理店の人が各一人というシステム。盗み聴きしといて申し訳ないが、ガイドブックか歴史の教科書で事足る内容が多かった。現地まで来ているのだから、歴史のうんちくに特化しない方が面白いのではないか。どんな場所にも、ちゃんと現在が進行しているのだから。要塞と呼んだ方がそぐうかもしれないこのタフな宮殿の城壁に住むには、どんな手続きとコネクションが必要なのか。そっちの方が興味深い。物干しは別チャージだろうか。
 海岸があればどこでもそうかもしれないけど、アドリア海沿いの町では、海に沿った散歩道をよく見かける。オパティアでの散歩が爽快だったから、海沿いを歩いてみようと宮殿を後にした。車を降りたターミナル付近から、小さな湾に沿って西へ歩くと、そこからスプリットのハーバエリアが続いていて、観光ホテルやらカフェやらが立ち並んでいる。ザ、観光地。せっかくの中世の街並みが厚化粧。そんな印象だった。そうはいってもここはヨーロッパの観光地。モデルのような金髪美女にサングラスだ。待ち合わせまでの残り時間、空腹のカプチーノを味わおう。多めに砂糖を突っ込んで。

つづく

Mateo=Rich

2011-02-12

2011.02.12 イストラ半島紀 6:ミッシェルを聴いて

6 ミッシェルを聴いて
 穏やかなアドリア海とそれに沿って続く散歩道。カモメ系統の鳥が数羽、この国でも鳥類は朝が早い。綱無し首輪有りの犬が一頭、飼い主らしき人がいるが、続柄を裏付けるものは確認できないほど遠い。古くからのリゾート地オパティアに似つかわしくない安宿の一室で、なかなか目覚めないクロアチアン一人、名前はブランコ。遠くに見えるのは対岸の町。この辺りは小さな湾になっているから水平線は見えない。夜が明け新しい朝がフェードインするのを眺めながら、町の時計台へ向かって飛んでくる魔女と黒猫を待っているジャパニーズが一人。それが僕。恥じらいもなく大好きな映画の風景と重ねてしまう、そんな気持ちにさせてしまう表情がオパティアの朝にはあった。

 結局昨日はブレッドを出てから特に観光することなくひたすら南下した。途中、ガソリンスタンドとセットになったコンビニエンスストアに数回停まって、疲れたブランコをレッドブルで励ました。レッドブルは国籍を選ばないようで、ブランコはとてもハイになっていた。恋人の話を少なくとも2時間は聞いていたように思う。しまいには自分をクロアチアン、シューマッハだと言い出してきかないほどの効き目だった。しかし反面、急激に登れば下りは急降下。なんとかホテルに転がり込んだ後、わずかな酒で眠ってしまい未だ起床しない。疲れたのか酔ったのか。後者であれば相当弱い。この旅の終わりまでに、一度は二人でゆっくり飲みたいと思っているのに、実現するだろうか。羽馬ブランコの復活を待つしかない。
 
 海岸沿いのオープンカフェで、地図を広げ考えていた。ここからのルートをどうするか。予定では、イストラ半島を海岸沿いに進み、イタリア、トリエステを目指すことになっているが、クロアチア方面にアドリア海を下れば、あのドゥブロブニクがあるじゃないか。しかも、ブランコの話では、クロアチア本土とは接しておらず、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ領を挟んだ飛び地になっているという。これは面白そうだ、それに今回は旧ユーゴを行く旅なのだから、むしろそちらを選ぶべきだ。


 どれくらい走っただろうか。確かに美しいこの海岸通りも、かれこれどれくらい同じ景色なのか。そして、どれくらいの間、二人は言葉を発していないのだろうか。道は右へ左へ緩やかなカーブの連続、右にハンドルを切るたびに、ブランコの大きめのサングラスがチカチカ日差しを反射する。唯一表情をうかがえるかもしれない口元は、常に半笑いの表情でガムをクチャクチャやっている。無機質に過ぎるそんな時間は、悩める自分を、現実世界に連れ戻し、じわじわと嫌らしく、人生について考えさせる。どこへ向かえばいいのか。左手に続いていた石灰岩の大規模な石切り場を過ぎると、視界が一気に開けた。車内にはいつからか、緩やかな音楽が流れている。ミッシェル。ポール・マッカートニーの抜けた声は、掴みどころのないこの海岸線に良く合う。古いナンバーに聞き入りながら、若き日のポールのアーティストライフをイメージしながら、少しずつ原点に戻ろうとしている自分がいた。ポールが最終コーラスを終えようとしたとき、ようやく見えてきた大きな町がある。そこはスプリット。ブランコもうれしそうに、何かを叫んでいたが、何を言っていたのかはわからない。





つづく

Mateo=Rich

2011-02-09

2011.02.09 イストラ半島紀 5:贅沢な男

5 贅沢な男

 一時間もたっていない。最初に立ち寄った素朴な町、そこはブレッド。美しい湖と、小高い山の岸壁に立つブレッド城。日本でもよく知られているスロベニアを代表する観光名所。ブランコのルノーは町の緩やかな坂道を下り、湖の外周路に入った。それとほぼ同時に飛び出した片言の日本語が傑作だった。「ニッポンジン シロスキィ」
思わず吹き出してしまう。シロスキィなんていう名前は日本人にはいない、と言いかけたけど、ここはひとつ彼の精一杯の日本語を受け止めようと「日本人、城好き」と解釈した。
普段は団体客用の観光バスに乗ることもあるブランコだから、客やら添乗員やらにいろんな日本語を吹き込まれるのだろう。確かにそうかもしれないな。日本人は城が好きかもしれない。ましてヨーロッパの古城となればなおのこと。

 ブレッドといえば、どうしても見てみたい場所が一つだけあった。旧ユーゴのカリスマ、チトーの別荘で、今はホテルになっている。チトーは数ある別荘の中でも、このブレッド湖畔のものを愛したと聞いたことがあった。この場所にこだわった理由は二つ。一つは、旧ユーゴの諸国を訪れるにあたり、チトーという人物に関心が高かったこと。もう一つは、チトーが死去した1980年。その年は僕自身の誕生年。同じ年に彼は死に、僕は生まれた。何の脈絡もないけれど、チトーはどうしても気になる人物の一人だから。実際に行ってみると、別荘はとても立派だったけど、チトーのカリスマ性を感じさせる何かがあったわけではない。それもそうか、ここは別荘なのだから。ここで心を休めながら、窓枠に綺麗に納まった城と湖を眺めながら、独自の思想を創造していったのかもしれない。しかしこれ程までに美しい景色だから余計に、その後の内戦がとても悲しい歴史であるように思えてくる。そんな角度から、ユーゴ体制そのものが、チトー個人のカリスマ性によって維持されていたという皮肉を充分に感じさせる場所でもあった。こうなってくると、いつかチトーの生地へも行ってみたい。クロムヴェッツというのどかな田舎町らしい。

ブランコのルノーは湖畔道路でも快走を続けた。チトーの別荘からしばらく行くと、道は、ブレッド城への入り口までのしばらくの間湖からは遠ざかる。可愛らしい家が集まった小さな集落が点在していて、ほとんどの家の庭にはリンゴの木が植えられている。牧地も多く、所有者のわからない羊が要所ごとに固まっている。とてものどか。たまに視界が開ける度に、ブレッド城が見え隠れして、少しずつ近づいているのがわかる。寄っていこうと誘うブランコ。そりゃそうだ、せっかくここまで来たのだから、城から湖を一望しようじゃないか。

 城からの眺めは美しかった。周辺を一望できるパノラマ。湖のエメラルドグリーン。小さく見えるオレンジ色の屋根。足元には石畳み。文句のつけようはない。ただ、ブレッドの景色で、鮮明に心に焼きついているのは、チトーの別荘からみた景色。城は住むより眺めるものか。チトーはとても贅沢な男だと思った。なんだかんだ昼下がり。オパティアまではどれくらい。先は長い。小さなルノーの陸路は続く。

つづく

Mateo=Rich

2011-02-06

2011.02.06 イストラ半島紀 4:朝、上々 

4 朝、上々

 とても爽快、心地の良い朝。ホテルの朝食はそんな朝にふさわしく、とても優しいメニューだった。ふわふわの卵にハムやらソーセージ、サラミなんかも添えた。パンも種類が豊富だから、ハムとの組み合わせを楽しめた。コーヒーは日本のファミリーレストランなんかでよく見かけるあのマルチマシーンが設置してあって、こちらも種類は豊富。安宿でもこのスペックなら十分じゃないか。ユーロ圏だから日本と物価はほぼ同じ。日本の同等のビジネスホテルよりいいかもしれないな。そんな風に感じた。

 食後、ブランコの誘いにのってホテル周辺の散策に出ることにした。とっておきは目の前に広がる湖だった。ヴェルダー湖といって、この辺りでは一番大きな湖らしい。ブランコは他にもたくさんの地域情報を提供してくれた。この地域には、他にも小さな湖が点在していること。目の前の幹線道路を北へ少し行くと、‘モーツァルト通り’という名の道があり、モーツァルトとの関係は不明であること。加えて、この辺りに関係があるのはむしろ、ブラームスであることなど。確かに、創作活動に打ち込めそうな、落ち着いた美しい景色がそこにはあった。

 ホテルに戻り地図を眺めていると、どうしても気になることがあった。予定では初日の宿はスロベニアのはずなのに、ここはまだオーストリアではないか。ミュンヘン上陸からまだ半日。昨夜に続いて早くも二度目のブランコマジック。これはなんだかおもしろいことになってきたぞ。こうなりゃどこへでもつれていけ。哀愁程度の程よい不安と、突き上げてくる未知への期待で、旅気分はいよいよ上昇気流に乗り始めている。快走ルノーに乗り込んで、アウトバーンを一気に南下しよう。アドリア海まで突き抜けんばかりに。今夜の宿はオパティアだ。半島付け根のリゾート地。移動距離が距離だけに、寄り道候補はあまりない。

つづく

Mateo=Rich

2011-02-03

1011.02.04 イストラ半島紀 3:通過駅 

3 通過駅
 ミュンヘンは雨。とても美しい空港でビールがうまい。そして何より12時間ぶりの煙草が格別だった。今夜の宿はスロベニア。ここからオーストリアへ小型機で入り、そこから先は迎いが来て陸路の予定。まだしばらくかかる。オーストリアまでは1時間程度らしい。夜だから噂の景色は楽しめそうにないな、せっかくのルフトハンザ なのだから、ドイツビールに的を絞ろう、と方針を固めた。
 ミュンヘン乗り継ぎは実にスムーズ。ドイツのハブ空港は見事に機能しているのか、たまたまなのか。いづれにしても心地よい気分で‘ビールと行く空の旅’へと向かった。
 窓に映る自分とビール。ぐっとガラスに顔を近づけると、街の明かりが見えた。小さな町が点在しているのがよくわかる。それぞれの町にそれぞれの人たちがいて、それぞれの日々を送っていることを想像すると、それらすべてをひとまとめに飛び越えていってしまうことが、とてももったいないことのように思えた。特急列車なんかに乗ると、気になる通過駅が必ずあるけど、ちょうどそれに似た気持ち。
 飛行機が着陸態勢に入ると、これまでとは比べものにならないほど大きい町の明かりが見えてきた。どうやらここがクラーゲンフルト(オーストリア)らしい。空港横、イケアが印象的。どこで見てもイケアはでかい。こじんまりした空港だから、その分よけいにイケアをでかく見せるのだろうと分析しながら、中部空港から預けっぱなしの荷物を受け取りターミナルへ出た。
予定では、クロアチア人でブランコという名の案内人と、このターミナルで落ち合うことになっている。それらしい人は数人いるが、日本人などほとんどいないこの場所、この時刻。向こう側から気づいて声をかけてきてもよさそうなものなのに、そんな気配は全くない。そんならまあじっくり待とうじゃないか、今にやってくるだろう。と、ターミナル周辺を散策することにした。町は自然が多く、北欧を思わせる雰囲気。後からブランコに聞いた話では、ウィンタースポーツも盛んだという。トップシーズンにはわずかに時期が早いようで人はまばら。一月後には灯るだろう街灯が薄暗い通りに規則正しく並んでいた。大きく左へうねりながらアウトバーンへと続く道。その道をブランコが乗ったルノー車がやってきたのはしたのは、空港到着から40分後のことだった。
 現地時間夜10時。ブランコと行くイストラの旅の始まりだった。

つづく

Mateo=Rich

2011-02-02

イストラ半島紀 2:星はまばらか 

2 星はまばらか

 ジャンボジェットの窓には無数の星が広がっていた。到着すると現地は夜の九時前後、この十二時間をどう過ごすかが時差克服のカギだ。それにしても、この見事なパノラマを見ていると夢の世界へ引き込まれそうになる。地上ではありえないが地平線やら水平線は、はるか下見えない。なるほどそりゃ見事な星空なわけだ。そんなことを考えながら、ようやく眠気を受け入れることにした。機体はまだ中国に差し掛かったあたり。

 特に夢も見ない穏やかな眠りから覚めたのは、膝の上の雑誌が落ちたからか、機体が少し揺れたからか、また、もしかしたら、機体が揺れて雑誌が落ちたのか、いや、もしかしたら、揺れてもいないのに雑誌が落ちたのか、わからない。要するに寝ぼけていた。水を二口。こうして空を飛んでいると、いったいどこへ向かっているのかわからなくなる。


道路も標識もない、たたどこへとなく飛んでいるように思える。すぐにそれは最近の自分と重なった。いったいどこへ向かっているのか。いずれ機体は目的の地へ見事な着地を決めるだろ。そう考えると、この旅の最後には、何か新しい自分に到達するかもしれないな。

 少し雲が出てきたみたい。星は少しまばらか。旅の目的を確認しながら、機体はいよいよ東ヨーロッパに差し掛かっているようだ。

つづく

Mateo=Rich