2011-04-15

2011.04.14 ニブラ(連載中)

ニブラ-11.04.14

 みずみずしい空気に木漏れ日が心地いい。風はほとんどない。森の外には届いていなかった鳥の甲高い鳴き声が時折響き渡る。奥の方から聞こえているようだで、歯切れのいい鳴き声が不規則なリズムを刻むように聴こえてくるから、まるでこっちへ来いと誘われているようだ。特に何の気もなく、誘われる方向へ歩いて行く。奥へ奥へと。するとどうだろう、なんだか体が軽くなってきて、ふわふわと不思議な気分になってくる。まるで、大きなシャボン玉の中にでもいるかのように、視界が丸く歪曲して見える。森の木々がよけるように、前の方から道を開ける。あっという間に一本の長い道が森の真ん中を貫いて、これはもう進む他に案はないと思わせる。当然そいつにつられてとっくに歩きだしているから、今更何を拒むこともない。このままどこへ連れていくつもりだろうか。意識の奥の方へ、現実との境目は見失ってしまった。

つづく

Mateo=Rich

2011-04-11

2011.04.10 ニブラ (連載中)

ニブラ-11.04.10

 西へ向かった。西方は山間部。最高峰ははるか向こうで、とてもたどり着けそうな距離ではない。裾に広がる森がその最高峰を囲むように広がっている。樹木の密度はまちまちで、山の地肌が見えるところもある。森は中心に向かって緩やかに上っているから、ある程度進めば周辺地域を見渡せる場所があるかもしれない。そんな風に考えて、今いる砂地と草木が茂る森の境界線までやってきた。鬱蒼とした森が奥の奥まで続いているのが見える。この位置から見る限りでは、程よく日差しが差し込む清々しい雑木林だ。しかしここは見知らぬ地の深い森の入り口なのだから、思わぬ危険が待ち受けているかもしれない。国も地域もわからないとなれば、想像を超えた生態系がはぐくまれていて、得体ののしれない獰猛な奴らが、足を踏み入れた瞬間に襲い掛かってこないとも言い切れない。ここはひとつ用心しなければならないと、息を大きく呑み込んで最初の一歩を踏み出した。特に異変はない。ならもう一歩と、少しずつ奥へ進んでいく。しばらくして振り向くともう入り口は見えなくなっている。それほど奥まではきていないはずだから、少し違和感はあるけれど、でもまあ、どうせ外の世界はただの砂地で、生活もままならないのだから、戻る必要もないだろうと再び前を向いた。よっぽどこの森の方が過ごしやすそうじゃないか。そう思いながら歩を進めていった。

つづく
Mateo=Rich

2011-04-08

2011.04.07 ニブラ (連載します)

ニブラ-11.04.07

 山岳地帯。赤壁の空は、鉄壁とも思われる山脈に落ちてゆく。遠くから眺めれば、そこらにある地上と大宇宙が溶け合う見事な景色だ。
 
 それにしても、いつの間にこんな場所にやってきたのだろうか。ある日突然この地に立っていたものだから、ここがどこなのかも、そのわけもわからない。わかることは、今この場所から見たり、感じたりできるものだけだ。だからまずは、足元に長めの杭を打ちつけて、基準点を作ることから始めなければならない。そうしたら今度は、その杭を中心にした360度を4分割して方角を設定するといい。ちょうど今さっき、太陽が落ちていった山脈のあの方角を西にしておくと馴染みがよさそうだ。とりあえずここまでしておけば、今後何かに遭遇したり、発見したりした時に、位置情報を割り当てることができるから何かといい。

つづく
Mateo=Rich

2011-04-04

2011.04.04 イストラ半島紀 23:空中着陸 (最終回)

23 空中着陸

 食事を終えて、身分不相応のこの空間にも慣れてきて、別に特別なことでもないように思えてきている。人間の適応能力とは時に厄介だ。贅沢も始めてしまえば当たり前になってしまうのだから。

 落ち着いた気持ちで窓の外を眺めていると、今日も空には無数の星が散らばっている。星に願いを言うけれど、これだけあったらいったいどれをチョイスしていいのかもわからない。そういう意味では星に願うなら地上がおすすめかもしれない。雲の切れ間にひときわ輝く一つを狙えばいいのだから。こんな風に上空を飛ぶときは、無数の星達をも抱え込んでいる宇宙に思いをはせたらどうか。その方が、より正確に、万物の中での自分の立ち位置やサイズを感じることができるから。そんな立場で見る宇宙は、実に無機質で、願いをかなえるどころか、こちらには全くの無関心。どうにでもなりやがれといった態度だ。子供のころから宇宙のそういう態度には気付いていた。そしていつからか、それが宇宙に限らず、地球と人類、社会と個人の間にもあてはまることに気付いていた。個人に無関心なのだから、当然何の期待もしていない。だから個人は生きたいように生きればいい。酔ったせいもあってか、そんな風に、原点に立ち戻らせてくれる窓の景色だった。

 何か一つ、はっきりした答えがあるわけではない。旅を振り返って思い出すのは、ブランコらと過ごした楽しい時間や、それぞれの町でみた現在の人々の暮らしとか。窓の景色をバックに思い浮かべる旅の思い出の一コマ一コマが、まるで映画の様に頭の中を流れていく。なかなかいい旅だった。日本に帰ったらこの旅のことを書こう。特に目的はないけど、邪念のない、純粋な表現欲を満たすためだけに書こう。そう決めたとき、どこか懐かしい感覚と、新しい旅のはじまりを感じた。

 機体はシベリア上空あたりか。成田まではどれくらい。着陸の時を待たずして、イストラ半島紀を空中着陸にて結ぶ。



Mateo=Rich

2011-04-01

2011.04.01 イストラ半島紀 22:ビジネスクラスプアー

22 ビジネスクラスプアー


 ビールを飲んだからうとうとしてくる。時差対策もあって食事が終わるまでは眠るわけにはいかないと踏ん張っていたけど、いよいよ厳しくなってきた。国際線ではお馴染みの先取り映画でも見ようかとモニターを操作すると、いったいこれはどうしたことか、うまく再生できない。あの手この手で試しても回復しない。これはお手上げだとフライトアテンダントに修復を要請したけど、彼女たちにもこれはお手上げのようで、とうとうパーサーが出てくる展開となった。当然ながら一度飛び立ってしまった機内では、打てる手段は限られているようで、誰が出てきたからどうにかなる事態でもなさそうだ。さすがにこちらも大人だから、あきらめようと思っていたその時、願ってもない提案がパーサーから伝えられた。なんとビジネスクラスに移らせてくれるという。想定外のランクアップだ。こいつはありがたいと二つ返事で了承した。

案内されるままに、機体の前へ前へと進んでいく。すると現れたゆとりの空間。貧乏根性丸出しで踊り出しそうな気分をぐっと抑えて、広く柔らかなクッションに全身を沈めた。悔しい気持ちもあるからあまりこんなこと思いたくはなかったけど、正直これほどまでに違うものか。こんなに快適なら、いつまででも飛んでいたい。食事はいったい何を食べさせてくれるんだい。

オーケイ とりあえずプリーズ ビアープリーズ
キリッと冷えたドイツ産を頼むよ

貧乏根性が止められない。

つづく

Mateo=Rich

2011-03-31

2011.03.29 イストラ半島紀 21:帰国の途について

21 帰国の途について

 ようやくのアナウンスで小型機に乗り込もうと外へ出て、乗客の列に紛れて歩く。いつからか雨が降っている。なるほどフライトの遅れは悪天候によるものだったか。海外ではどうしても言葉が不自由だから情報が不足しがちだ。しかし悪天候でのフライトとなると、飛行機嫌いの人間にはつらい。行きと同様、景色を楽しむ余裕はなさそうだ。数時間遅れでようやく離陸したものの、予想は的中、シートベルト装着ランプは灯りっぱなしで機体はグラングラン。これじゃまるで絶叫マシーンじゃないか。ミュンヘンまでの一時間強がずいぶん長く感じた。おかげさまで機内でのことは、ほとんど何も覚えていない。ただ怯えて座っていただけだ。

 何とかたどり着いたミュンヘンは、今日も雨。上空は荒れていたのに、地上はしとしと小雨。機体のエンジン付近では、雨が蒸発して湯気が上がっている。濡れた路面を歩いて航空会社のカウンターへ。大幅に遅れてしまったから、とっくにあきらめていた今夜の成田行きだったけど、こちらは朗報、待っていてくれたみたいで何とか接続できた。辛いのは、煙草を吸う暇もなくロングフライトにいどまなければならないことくらいか。成田までの所要時間は12時間弱。到着予定は、日本時間で夕方4時前後の予定だ。

 何とか無事帰国の途について、離陸待ちの座席にもたれかかる。肩の力が抜けて、ようやく気持ちが落ち着くのを感じた。ゆったりビールでも飲むとしよう。

つづく

Mateo=Rich

2011.03.31 イストラ半島紀 20:アウェイ感

20 アウェイ感

 フライト待ちの空港ロビーで、特に何をということもなく待ち時間を過ごす。ザグレブ空港は特に興味深いショップがあるわけでもないし、旅の土産を大量購入する柄でもないから時間を持て余してしまう。ふらふらしていたらよくあるブランド品のセレクトショップがあったから、ブランコが愛用していた様な大き目のサングラスを買おうと物色した。これも一つ、旅の思い出になればいいと、レイバンを一つ奮発。確かブランコのレンズは真っ黒だったけど、黒髪の自分にも似合うように茶色のレンズのものをチョイスした。レンズの色以外はブランコ仕様、ザグレブ流だ。さっそく装着して今度はお菓子などの食料品が並ぶゾーンにやってきて、こちらは買う気もないのに物色した。子どものころから思っていたけど、海外のお菓子のパッケージからは、気品を感じない。どこか大味で、購買意欲をそそらない。味も含めて、日本の繊細な感覚は、世界に誇れるような気がする。そんなことを考えていたら、なんだか日本が恋しくなってきた。

 残念なニュースはその直後に入った。決して珍しいことではないのだろうけど、ミュンヘン行きの便が大幅に遅れるという。ルフトハンザ航空の説明では、夕方のミュンヘン発成田行きの便に乗れるかは、行ってみないとわからないらしい。お菓子から始まる故郷への思いで、センチメンタルになっていた心は、何とか持ちこたえているけど、正直しんどい。そんなタイミングでたたみかける様に、軍服のクロアチア兵が集団で前を歩いて行くから、アウェイ感はピーク値付近で大揺れだ。こちらがひるめば、その妙に冷静で鋭い視線にロックオンされそうな雰囲気がある。ブランコ仕様の大きめのサングラスが、幾分動揺を隠してくれたのは唯一の救いかもしれない。それにしても、鍛え上げられたがたいと軍服の組み合わせには、異様な威圧感があるもので、いざという時には命をかけなければならない軍人には申し訳ない気もするけど、とてもじゃないがいい見た目ではない。

 旅も大詰め、帰国の空港ロビーにて、母国日本との距離感がつかめない。

つづく

Mateo=Rich

2011-03-24

2011.03.24 イストラ半島紀 19:片言なやつら

19片言なやつら

 荷物はそれほど多くないから荷造りには時間はかからない。もう少しするべきことがあれば気もまぎれるのに、最終日の朝は、なんだか名残惜しい気持ちでやや切ない。特にすることもないし、町へ出かけるほど時間もないから、ホテルの窓枠に体ごと納まって外を眺めている。ザグレブに来てから一日として爽快に晴れた日はなかったけど、今日の空もあいにくさま。曇りのち曇りといったところか。真下に見えるスケートリンク設置現場は、少しずつ全体像が見えてきている。スポンサー企業の広告が掲げられているから、完成が近いのだろう。でもこんな天気だから、元気に遊ぶ子供たちの笑顔までは浮かばない。やはり最終日独特のもの悲しさが、見る景色をも支配しているようだ。

 初日のクラーゲンフルトでは遅刻してきたブランコなのに、今日は予定通り。スーツケースを積み込んでくれる姿が感情を刺激する。郊外の空港へ向かう車内もこれまでとは少し違う雰囲気で、何を話していいのかわからない。スプリットへ向かっていた海岸線同様の沈黙が続いていたけど、空港近くのTOYOTAのディーラーの前を過ぎるとき、指をさしてなにやらよくわからない日本語を叫んでいるブランコの姿が、とても温かく、楽しい気持ちにさせてくれた。本当にいいヤツだ。そう思った。

 ザグレブ空港のターミナル。友人ブランコに別れを告げて、振り向かないつもりでいたはずなのに。
結局最後に振り向いて、午前中、ひそかに覚えた片言でつぶやいておいた。

フヴァラ ヴィディモセ (※ありがとう、また会おう)

つづく

Mateo=Rich

2011-03-22

2011.03.22 イストラ半島紀 18:ワインに木製オーナメント(後編)

18 ワインに木製オーナメント(後編)

ホテルに戻ると、迎えのブランコがもう来ている。玄関の外れにルノーが停まっているからすぐに分かる。ワインをとりに急いで部屋へ上がって、そのまま流れ込むように車に乗り込んだ。ブランコのルノーは、複雑な市街地を迷うことなく進む。さすがにスピードは控えめだけど、ホームグラウンドならではの軽快さがあった。20分ほどで到着。ザグレブ北西部にある住宅地。こちらでは新市街の民家でも、どことなしにクラッシックな雰囲気があってなかなかいい。素敵な笑顔で明るく迎えてくれたのはブランコの母シルヴァと、ガールフレンドのミラだ。二人はとても仲がいい。今日の料理もいっしょに作ったのだという。テーブルにはすでにたくさんの料理が並んでいる。タイミングを失ってはいけないと、ワインを取り出しブランコに渡すと、みなとても喜んでくれた。そしてもう一つ、さっき選んできたオーナメントを取り出して、ワインボトルの首に掛けると、小さくわいた。ブランコが促して、全員がテーブルにつきワインを注ぐ。友人家族と過ごす、クロアチアでの最後の夜が始まった。

 会話の中心はミラだった。好奇心旺盛に質問してくる。家族のこと、仕事のこと、将来のこと。そしていつかブランコと結婚して、日本へ遊びに行きたいと言っていた。その時は車で日本中を案内すると約束した。一方でシルヴァは、口数は少ないけど所々で気遣ってくれて、息子のように接してくれた。日本に限らず世界中の男子がマザコン傾向にあるのも無理のない話だ。クロアチアの母にも、元気で長生きしてもらいたいと、心から思った。

 食事も一段落して部屋を見渡すと、奥の壁に一本のガットギターがかけられている。とても古いギターでほこりをかぶっているからしばらく弾いていないのだろう。思わず手に取って弦をはじくと、ナイロン弦独特の深くて暖かい音がした。思いだすのはアドリア海沿いで聴いたミッシェル。暖かいおもてなしへのお礼もかねて、演奏しよう。そう思ってイントロを爪弾くと、ブランコが空き瓶を鳴らしてビートをとってくれた。シルヴァとミラの優しい視線を感じながら最後の弦をはじき終えたとき、満足感と同時に、旅が終わっていくのを感じた。

つづく

Mateo=Rich

2011-03-16

2011.03.16 イストラ半島紀 17:ワインに木製オーナメント(前編)

17 ワインに木製オーナメント(前編)

 昨夜の深酒が効いてザグレブでの二日目の朝は遅めのスタート。昨日と同じホテルのレストランで朝食をすませて、横にある広場へ散歩に出た。緑色の制服をきた人たちが数名、芝の手入れをしている。入り口付近では、屋外スケートリンクの設置工事が進められていて、こちらの作業員の人たちは私服のようだ。大型犬と飼い主が広場の外周をゆっくりと散歩していて、こちらの方へ向かってくる。駅の方角に掲げられている巨大なヒュンダイの広告が、こののどかな広場からの眺めに不釣り合いだ。ふと気づけばさっきの大型犬が目の前まで来ているから驚きだ。そんなタイミングでブランコから電話があって、今夜食事に招待してくれるという。こちらもまた驚きだけどとてもうれしい。

 ホテルに戻って、コンシェルジュにクロアチアワインについてたずねた。初日の夜に多めのチップを渡してあるからか、この二日間とても親切に対応してくれている。今夜友人の家へ持っていくことを伝えると、レストランで出しているおすすめの一本を、ホテル名入りの綺麗な袋に入れてくれた。これにはとても満足した。こうなってくるとついつい凝りたくなる。気の利いたプレゼントを探そうと、イェラチッチ広場へ向かうことにした。

 広場は昨日と特に変わっていない。木製のオーナメントなんかをイメージしながら、そんな物が並んでいそうなお店を探した。少し外れにある可愛らしいお店を見つけて中に入ると、そこは完全にメルヘンだ。クリスマスのイメージにぴったりの木製のおもちゃや、装飾用のパーツなんかがいっぱい並んでいる。お店のレジカウンターの横には小ぶりのツリーがあって、そこにたくさんのオーナメントがディスプレイされている。とても暖かくて優しい感じだ。購入したのは、赤色のツリーをかたどった木製のオーナメント。真ん中がまん丸く切り抜かれていて、その円の中を小さな機関車が走っている。なかなかの自信作だ。ブランコの喜ぶ顔が目に浮かぶ。

 お店を出て、昨日と同じカフェに入った。帰国前に、流行のチョコレートケーキを食べてみたかったから。ザグレブ流のセットを注文して、いよいよ実食。出されたケーキを見て驚いた。とにかくでかい。日本で食べるケーキの倍はあるかもしれない。こうなりゃガッツリ食べてやれとばかりに、ど真中に一発フォークを入れると、中からトローリラズベリーソースがあふれ出してきた。こいつはうまそうだ。味はというと、とてもおいしい。でもやはりちょっと濃厚だ。そして、やはり大きすぎる。もしかしたら、恋人同士、二人で食べるのがザグレブ流なのかもしれないな。

2011-03-15

2011.03.15 イストラ半島紀 16:Japanese in zagreb

16 Japanese in zagreb

 イェラチッチ広場の夜は、クリスマス装飾でとてもきれい。夕方くらいから少しずつ露店が開店の準備を始めている。その多くはツリーの装飾品のお店のようだ。南側から広場に向かって延びる通りには、何のメッセージかはわからないけど、ハートのバルーンが一定の間隔で飾られている。色は赤のみ。クリスマスというよりはバレンタインを連想させる。そのハート通りのちょうど中間あたりにあるカフェでザグレブ在住の日本人と待ち合わせをしている。土方大輔32歳。ザグレブ在住のフリーライターだ。友人の紹介でメールとフェイスブックでの交流はしていたから、写真では見たことがあるけれど、会うのは今回が初めてだ。どんな感じの人だろうか。少し早めに到着して待っていると、約束の時刻ぴったりに土方はやってきた。少したれ目でとても優しい印象。身長は高く、184cmあるらしい。決して口数は多くないが、その表情からは、人の良さがにじみ出ている。この人となら仲よくなれるかもしれない。

 土方に連れられてやってきたのは、小さめのクラブカフェ。映画を映すという中型モニター、バンド演奏用と思われるひな壇、DJブースなどがあって興味深い。人気メニューだというホットチョコレートを頼んで、店内を物色しようと歩きまわった。壁に掛けられたレコードは、ジャズ、ソウル系が多いようだ。置かれているフライヤーは、実に幅広いジャンルのパーティのものが混在している。このカフェの隣には、同系列が経営するクラブがあって、そこで開催されるパーティの年間スケジュールのようなものが、3ページほどの冊子にまとめられている。今夜はヒップホップのDJが集まっているようだ。あまり好みではないけど後でのぞいてみたい。今いるカフェでも、ジャズ系の年輩バンドが準備を始めている。土方と過ごす長い夜。カウンターの中央に陣取って、いろんな楽しみが詰まっていそうでわくわくする。

 そういえば、スプリットでブランコ達と過ごした夜以来、ゆっくりお酒を飲んでいない。土方の勧めで注文した一杯目のお酒は、グリューワイン。日本でもよく見かけるホットワインの類で、香辛料なんかと合わせて作るのがこちらでは主流のようだ。色は赤。このお店では、シナモンを加えているそうで、独特の後味がある。赤ワインの程よい酸味と渋みは、まったくというほど残っていないから、ワインのつもりで飲むと物足りない。ワイングラスではなく、紅茶を飲むときに使うようなカップを傾けながら、なんとなく、今日までの旅の思い出をはなしてみた。永遠に続いたアドリア海沿いの道のこと、スプリットで飲んだラキアのこと、過去の内戦の激戦地で見た景色のこと。土方は特にコメントすることなく、ただうなずきながら、空のカップを指差して次の酒を促した。赤ワインを一杯ずつ注文して、小さく乾杯、一口味わう。一呼吸おいて、今度は土方が口を開く。3年前にザグレブに来て、日本の出版社の仕事で旧ユーゴ諸国を中心に取材とライティング業務を請け負っていること、もともとは写真家志望だったこと、ザグレブ市内の狭いアパートで、バジルなどのハーブを育てるのが趣味であること、そして育てたハーブをラキアと合わせて飲んだことがあり、渋すぎて飲めなかったことなど。そして意外だったのは、日本へ帰ろうと思っていることだった。ザグレブでのライティング活動は、日本の出版社や旅行社などからの仕事は絶えないけれど、日本人向けである分、狭く浅い内容ばかりで、本来目指している表現活動とは程遠いのだという。今度はこちらが、特にコメントすることなく、ただうなずいて聞いていた。それにしても見た目に反してダイナミックな人だと思った。単身ザグレブへ移り住んで、嫌になったら帰国して新たに夢を追う。なんだか少しずつ、土方という男の魅力に引き込まれていくのを感じた。ちょうど話が途切れたその時、マイルドで心地よいジャズ演奏が始まった。今日の一曲目は、セントトーマス。目を閉じれば、そこにソニーロリンズがいるようだ。

 いつからかお酒はもっぱらウィスキィ・ロックゾーンに突入している。何杯目かが定かでない、いつものパターンに陥っている。聴こえてくるジャズは何曲目だろうか。ボビー・ヘブのサニー。どことなくものがなしいメロディーラインが、人生を語る二人の日本人にはとても心地よく響いた。演奏が終わると、小さく拍手がまばらに起こり、まだ鳴りやまないうちに二人は店を出た。

 イェラチッチ広場へ続く通りには、例の赤いハートが並んでいる。それを追って広場に出ると、夕方はまばらだった露店が、はるか向こうまでつづいていた。赤と緑の電飾が控えめに、少し冷えるザグレブの夜を彩っている。北側の建物の上には、聖母被昇天大聖堂の塔の先端が突き出ている。そんな光景を眺めながら、建物の壁にもたれながら、そろそろ故郷へ帰ろうか、そんな気持ちになっていた。もしかしたら、土方も、同じ気持ちだったかもしれないな。

つづく

Mateo=Rich

2011-03-12

2011.02.12 イストラ半島紀 15:新市街にある中世

15 新市街にある中世

 時間がたつのは早いもので、ふらふらしているうちに薄暗くなってきた。例の日本人ライターに会うまでは、まだ少し時間がある。そう思って広場真ん中から、レコードショップの方を振り返ると、建物の上、天に向かってそびえる二つの塔に気づいた。ホテルからも遠くに見えていた聖母被昇天大聖堂の塔だ。明るいうちは気づかなかったけど、この時間、この位置から見上げる大聖堂は、一度目に入れたら無視できない何かがある。その何かに引き寄せられるように大聖堂へ向かうことにした。広場から建物群ワンブロックを回り込んでいくと、緩やかな斜面が大聖堂正面に続いている。わざと上を見ないようにして、正面までたどり着くと、せーの、とばかりに上空を見上げた。こいつはすごい。なんという高さだろうか。体を反り返らせなくては先端が見えないのではないかと思うほどだ。高さに加えて、先端に至るまで妥協なく施された細かい装飾が強烈なオーラを作り出している。しばらく口が開いていたと思う。我に返ったのはその直後。性別がはっきりしない薄汚い恰好の人が何かを言っている。英語ではなさそうだ。よく見ると片手の肘の先がない。詳しい事情は分からないけど、言っている内容は想像がつく。そう思って回りを見ると、同じ目的と思われる人たちが何人もいた。集まってきたのか、気づかなかったのか。普段日本ではあまり目にしない光景だけに、ちょっと動揺したけど、大聖堂の前で観光客に、いったいどうしろというのか。今度はわざと上を見上げながら、大きなアーチの門をくぐっていった。

 心的世界であった中世のヨーロッパ。近代へ向かう流れの中で、多くのものが変わっていったのは確かだけど、信仰心が、現代になっても人々の拠り所となっているのがよくわかる。しっとりと静かで、心を落ち着かせて、ゆっくり自分と向き合えるような空気が流れている。空いている席に座って、目を閉じてみると、邪念が消え、肩の力が抜けていくのがわかった。なるほど、こういう場所だったのか。教典よりも大切なことは、こうして邪念を捨てて、自分と向き合うことかもしれない。そういう空気が流れる場所であるなら、無信仰に近い自分のような人間にとっても、通ってみる価値があるかもしれないと思った。

 はるか上の天井アーチ。繊細なステンドグラスの穏やかなあかり。ちょっと控えめに後ろよりの席に座って。この旅の締めくくりを考え始めていた。

つづく

Mateo=Rich

2011-03-08

2011.03.08 イストラ半島紀 14:ザグレブ

14 ザグレブ

 ホテル上層階からの窓の眺めは美しい。小さな公園を挟んで広場が見える。その向こうにはザグレブの中央駅があるから人通りが多い。青色の路面電車が印象的だ。駅から続く人の流れは、そのほとんどが北へ向かっている。その方角には国の主要官庁が集まるゾーンがある。首都と言っても東京のように高層ビルが立ち並んではいないから、この高さから眺めれば、意外と広い範囲が見渡せる。この町で今日から二日間、どんな出会いが待っているのか。上がり気味の程よいテンションで朝風呂に向かうと、バスルームは広くて綺麗。なかなかいいホテルだ。一つくらいは贅沢をしようと事前に取っておいた唯一のホテルだったから、期待通りでとてもうれしい。こうなってくると朝食も楽しみだ。昨日の到着が遅かったから、レストランはまだみていないけど、きっといい感じだろう。
 アールデコ調のインテリアをそろえたクラシックスタイル。建物自体がそうだから当然と言えば当然だけど、このホテルは全身でもって古典を表現している。オリエントエクスプレスの全盛期に開業し、一部の修復はしたものの、当時のままらしい。流行と廃りの大きな流れに翻弄されない強い意志が、今ではこのホテルをまとう強烈なオーラになっている。安宿もそこでしか味わえない何かがあるけれど、やっぱりこういう贅沢も一つくらいはいいものだ。ゆったりと遅めの朝食を楽しんだら、今日は町へ繰り出す予定でいる。午後からは、現地在住の日本人ライターと落ち合うことになっている。ザグレブの夜にも精通しているらしいから、とても楽しみだ。

 ザグレブ中央駅から北へ向かう道沿いには、のどかな公園が続いている。公園の北の端までくると、その先は新市街。有名なイェラチッチ広場(共和国広場)や、聖母被昇天大聖堂もこのゾーンにある。広場の第一印象は、どことなしに殺風景。路面電車のレールが妙に無機質に映る。ふらふらしていると、興味深いお店がたくさんある。大型店舗はあまりなく、こぢんまりした個性的なお店が多い。ショッピングは特別趣味ではないけど、こんな町なら楽しめるかもしれない。現在に面白味が詰まっている、ザグレブはそんな町かもしれない。ちょっと足が疲れてきたから、カフェで少し休憩しよう。この辺りは、大小カフェがたくさんある。

 たっぷりクリームが入った濃厚なコーヒーと、ラズベリーソースの入ったチョコレートケーキ。多くのカフェでそんなメニューを見かける。昨日の車内でのブランコのはなしでは、その組み合わせはブランコ流だといっていたけど、どうやら地元ザグレブっ子達の流行のようで、いうならば、ザグレブ流だ。ちょっと日本人には濃厚すぎるかもしれないけど、ガラスのウィンドウケースは、色とりどり、とても綺麗でおいしそう。さすがにスイーツまでは食べられないから、ザグレブ流の濃厚コーヒーだけを味わうと、もう気分はザグレブっ子。あまりにも単純な自分をおかしく思いながらも、とっても気持ちがよくなった。こうなったらもう、旧市街になんかいくもんか。
 
 レザー製品、クラシックスタイルのメガネ、画材、アクセサリー、本、絵画、靴、たくさんの専門店を渡り歩いて、最後にやってきたのがレコードショップ。都会のショップだから豊富なラインナップで迎えられると思っていたのに、並んでいたほとんどは定番中の定番ばかり。最前列にビートルズ連発、ちょっと下がってクラプトン、ストーンズ、日本の感覚でいうと古めのラインナップが中心だ。貼られているポスターなんかも、どれも若々しさがないのは気のせいだろうか。

つづく

Mateo=Rich

2011-03-06

2011.03.05 イストラ半島紀 13:ロングラン

12ロングラン

 ルノーは、ネレトバ川を下っている。首都ザグレブを目指すには、アドリア海へ出るまではもと来た道を戻り、そこからは、海岸沿いを最寄りのインターチェンジまで北上することになる。この旅一番のロングラン。すでに陽は傾き午後三時を回ったところ。はたしてどれくらいかかるだろうか。ブランコはというと、例の大きめのサングラスに半笑いの表情、放つオーラは冷静沈着、すごい自信だ。気のせいかいつにも増して快走を見せるルノー。なんだか懐かしい感覚、ブレッドからオパティアを目指した時も、アドリア海へ突き抜けんばかりの勢いがあったことを思い出す。あの時はまだ案内人と旅行者の間柄でしかなかった二人も、いつの間にか、噛み終えたガムを受け取って紙で包んで捨ててあげるほどの仲だ。まだ出会って数日しかたっていないのに、もうずいぶん長い時間を共にしているように感じる。いまや車内の沈黙にも、気まずさはともなわない。大陸にしては源流から河口までの距離が短いネレトバ川だから、さっきまであんなに深い谷底を流れていたのに、少し進むだけで水面はすぐそこ、アドリア海が近づいているのがわかる。こんな風に、少しずつザグレブへ近づいていることを実感するたびに、この旅のカウントダウンが始まっているようで、うれし悲しい、複雑な気持ちになる。そんな風に一人で車窓に思いを馳せていた。

 それにしても、モスタルを出てかれこれ一時間半以上はたつというのに、いったいいつになったら海に出るのだろうか。そう思って、今度は注意深く外の景色を観察してみると、なんだか行きとは違う道を走っているような気になってくる。ルート変更があったのだろうか。意外とブランコは気まぐれなところがあるから。ヨーロッパへ到着した初日の宿も、スロベニアのホテルに泊まる予定だったのに、翌朝気づいたらまだオーストリアにいたことがあったしなあ・・・。そんなことを思い出している間に見えてきた道路標識には、この先スプリット、ザグレブとある。なるほど、これはすでに北上を始めている。いつの間にかのコース変更だ。臨機応変に最短コースを選んでいく、さすがはクロアチアン・シューマッハだと言ってやった。こちらに向かって右手の親指を立て、この旅最高の笑顔で応えるブランコを見て、本当にいい奴だ、と思った。オーケイ、ブランコ。アウトバーンはすぐそこだ。一気に都へ乗り込もう。

 クロアチアに制限速度はあるのだろうか。この旅一番の猛スピードで、他の車を圧倒している。山地を抜けて、左手にはアドリア海が見えかれしている。はるか遠くに見える大きな町の明かりは、スプリットの町だ。ずいぶんと早い。最寄りのSAで最初のピットストップ。ガスリンスタンドとコンビニエンスストアが一つになったお馴染みのスタイル。キリット冷えたレッドブルと現地調達の煙草、肌寒いSAで国籍の違う男が二人。少し照れながら、プライベートを語り始めたのはブランコだ。明日はガールフレンドと地元ザグレブでの週末を楽しみたいらしい。よくある話なのに、なんだか胸が熱くなった。感情を高ぶらせる雰囲気が、夜のSAにあるのは確かだけど、友人として受け入れられた気がしてうれしかった。明日から二日間はブランコとは別行動になる。三日後の昼には帰国の途に就く。ザグレブ郊外の空港まで車で送ってくれる予定だ。そう思うとブランコと過ごす時間もあとわずか。ますます胸が熱くなる。

 現在地はスプリットから北へ二十キロほどの地点。ちょうど中間くらいだろうか。このペースなら今日中には到着できそうだ。まだ見ぬ都ザグレブの町並み。クリスマスモードの広場に待つ、友人ブランコの恋人の姿が目に浮かぶ。

つづく

Mateo=Rich

2011-03-02

2011.03.02 イストラ半島紀 12:偏見の雲晴れて

12偏見の雲晴れて

 モスタル旧市街を出て市街地を抜ける道路を進むと、内戦の爪痕をはっきりとみることができる。上階がくずれ壁には無数の穴が開いている。その下で営業を続けているカフェなんかがいくつもある。町全体がそうではなくて、きれいに修復されているものもあるし、修復されているけれど、銃弾跡がはっきりわかるものもある。パターンはいろいろ。中には完全な廃墟のまま残されているものもあって、そんな廃墟の前には、崩れる危険を知らせるサインが必ず設置されている。正面から建物の屋根を突き抜けて空が見える。屋根がここまで破壊されているということは、銃弾ではなく砲弾によるものだろうか。それともう一つ、街中に忽然と現れるのは多くの墓地。どれも比較的新しい。理由は言うまでもない。
 
 これだけのものが詰まった町だから、ついそういうものだけに目を奪われそうになる。しかし一歩離れて眺めれば、ここにも他と何も変わらない日常がちゃんと進行している。新市街を歩けば、楽しそうな若者グループとすれ違う。かつての自分と変わらず底抜けに明るい。今にも崩れそうな廃墟の下で、猫が気持ちよさそうに昼寝をしている。こちらも日本で見るそれと何も変わらない。土産物屋にいたっては、内戦で実際に使われた武器やら軍服なんかが、戦争グッズとして売られている。なるほど、メディアを通して過去の内戦に関してだけ必要以上に情報を得ている自分は、実に偏った見方をしていたかもしれない。自分の目で見ない、肌で感じない、他人まかせの抜粋された情報から作り上げたイメージ、そこから生まれるものは、せいぜい中途半端な同情心くらいのものだ。現地を歩いてみて、そんな見方ができるようになってきた。

 悲しい歴史を忘れることはないとしても、過去ではなく、今と今後、そっちの方を向いて現在が進行している。考えてみたら当然のことかもしれないな。

 十一月の冷ややかな風が、ザグレブの方へ吹き抜ける。さあ、そろそろ都を目指そうか。

つづく

Mateo=Rich

2011-02-28

2011.02.28 イストラ半島紀 11:モスタル2/2

11 モスタル2/2

 旧市街は、創造以上に賑わっていた。歴史地区は、古橋を中心に世界遺産にも登録されているそうで、中心地はホテルやらレストランやらが並んでいる。ふらふらお土産物なんかを見ていると、かつてのオスマン帝国支配の影響か、オリエントな雰囲気があって面白い。ここは完全に融合文化だ。観光地ではあるけれど、こぢんまりと落ち着きを保っていていい町だ。旧市街観光の中心で、民族紛争終結のシンボルでもある古橋は、中心が歪曲したアーチ状で、長さは30メートル程だろうか。幅は5メートルもない。上に行ってみると、外から見るよりかなり高く感じる。ブランコのはなしでは、夏にはここからダイブする人がいるらしいけど、本当だろうか。橋の中心地点、一番高い場所、その位置から町を眺めてみる。そうすると、この町の歴史をはっきり見ることができる。敵対していた民族の居住区が、ネレトバ川を境に分離されている。東側にはモスク、西側にはカトリック教会といった具合に。かつてのボスニア紛争で、セルビア人勢力とユーゴ連邦軍によって砲撃され、のちに、クロアチア人とボスニア人の間に起った紛争では、この川の両側に分かれての激戦となったらしい。ここからみるかぎり、傷痕と言えるはっきりしたものは見えないが、はっきりと見える民族の境界線がある。この境界線オンラインの位置から、その両方を眺めることができるのは、単一民族である日本人か、どちらの民族感情も持ち合わせない遠方からの旅行者か、勇気あるダイブ青年だけのようだ。今でも地元の人たちが、この線を超えることはあまりないと聞いた。

 こうして美しい景色を眺めながら、いくら思いを馳せてみても、そこからつながる何かがあるとは思えない。全く自分と関係がないこの地域の特徴的な歴史や民族感情を見聞きしたところで、良心やら中途半端な正義感がくすぐられるようなこともない。そうなれば、この旅の経験は、どこで自分と重なるのか。そんなことを考えながら、もう一度橋の最上部から、はるか下の水面に目を向けると、ここからダイブする勇敢な青年の軌跡がはっきり描けた。両岸からはたくさんの見物人の視線が集まっていて、水面に青年の顔がひょっこり浮かび上がった瞬間、大歓声が起こる。東西が一つになる瞬間かもしれない。想像の世界から聞こえてくる聴衆の手拍子に促されて、目の前の手すりの上に立ってみようか。そこに立った時、分離された左右の居住区を意識するだろうか。町の外壁に、内戦の爪痕を探すだろうか。なるほど、そういうことか、なんだか見えてきたぞ。はっきりはしないけれど、少しずつみえてきた。過去にとらわれて現在が見えていない自分の姿が。

モスタルの旧市街、世界遺産、古橋の上にて。飛び込む勇気はないとしても、この旅の本質に気づき始めている。

つづく

Mateo=Rich

2011-02-25

2011.02.25 イストラ半島紀 10:モスタル 1/2

10 モスタル 1/2
 美しいのは分かっていた。しかし、これほどまでとは。バーナードショーがこの世の天国と言ったのがうなずける。俗っぽいが、美しいのだから仕方ない。旧市街を囲む2キロ弱の城壁の上を、カメラ片手に歩き回った。ドゥブロブニク旧市街は、プラツァ通りと呼ばれるメインストリートが、中心部のルジャ広場まで続いていて、その両脇には、観光客向けのショップやらカフェやらが立ち並んでいる。もちろんビルトイン形式。坂や階段の多い裏路地が各方角に続いていて、旧市街の中で進行している現在の人々の暮しを感じることができる。また、要所要所に大聖堂やら修道院やらもあって、一大観光地として不足がない。ちょっと長いけれど、城壁を一周すれば、そんな風に全貌が見えてくる。さすがに足も疲れてきて、裏路地のカフェで待っていたブランコと合流。カメラの液晶を見せながら冷め止まぬ感動を伝えた。砂糖多めのカプチーノを飲みながら一息ついて。さて今日はどこへ行こう。


以前から抱いている、この地で起きた過去の内戦への興味は、すでに確実なものになっているけど、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの主要都市をいくつも回るには、さすがに日程がタイト過ぎる。ここは欲を出さない方がよさそうだ。明日には首都ザグレブにいたいから、その道のりを考えると、南部の都市モスタルに的を絞るのが賢明かもしれない。ブランコの話では、モスタルへは二時間程、サラエボへいくには、そこからさらに二時間程かかるらしい。サラエボは次回以降にお預けだ。

 モスタルの町へは、アドリア海に注ぐネレトバ川を上流方面へ車で二時間。ブランコのルノーの場合はそれより十五分ほど早い。その道のりは、これまでクロアチアの海岸沿いで見てきた景色とはだいぶん印象が違う。ときどき出現する小さな村は、気のせいかどこか物悲しく映る。ネレトバ川の中流域に差し掛かったあたり、西からくる支流との分岐点に架かる橋を過ぎると、視界が一気に開けて、モスタル国際空港が見えてくる。滑走路は一本。周辺が農地ばかりだから、離れた位置から見ると不毛の荒野のように映る。ここまで来れば、モスタルの町はもう目の前だ。

つづく

Mateo=Rich

2011-02-22

2011.02.21 イストラ半島紀 9:陸の方角

9 陸の方角

 深酒明けでむかえるスプリットでの遅めの朝。体調はそこそこ。ややもたれ気味の胃袋も、さわやかな窓の景色を前に、さほど気にはならない。明らかに国籍が違う上半身裸の男が二人、ホテルの窓から外を眺め、何やら楽しそうにお話している景色。外から見た人は、それこそ胃にもたれるかもしれない。ここに来てなんだか旅にも慣れてきた。なるようになればいい。そんな余裕が今はある。もちろん、ブランコの存在あってこそ。さあ、今日は何をしよう。

 ブランコのお勧めで目指したのは近くの朝市。そこで食べるサンドウィッチは最高らしい。それを買って、一気に最南端の地、ドゥブロブニクを目指そうという。とてもいいアイデアだと快諾し、徒歩で向かった。朝市は地元の人たちで賑わっていて、品目は果物や野菜が中心。種類が豊富だから、見ているだけでも楽しくなる。会場の一番奥まったあたり、コンテナの側面の一部を切り抜いて、カラフルな日よけをつけたスタイルの露店を見つけると、そこがサンドウィッチのお店だ。大きなメニュー板が二枚かかっているけれど、英語表記ではないようでよくわからない。ブランコ任せで出てきたのはチキンサンド。たっぷり野菜の上にチキン。かためのパンにマスタードの酸味。これでうまくないはずがない。今日も一日、楽しくないはずがない。そんな気分にさせる味だった。

 スプリットを出ると、しばらくは、お馴染みの海岸道路が続いていた。それを抜けると今度は肥沃な田園地帯が広がっている。これは意外な展開。道の両脇には柑橘系の露店が並んでいる。クロアチアでこんな景色に出会うとは思ってもみなかったから、思わずミカンを一袋購入して田園風景とともに味わった。大きな紙袋に小ぶりのミカンだったから、とにかく大量だ。その大量のミカンと挑むのは峠道。ひとつ峠を越さねばならない。道幅が狭く、日本のように頑丈なガードレールが完備されているわけではないから、断崖絶壁を走っているようだった。そこを何とか切り抜けると、これもまた不思議なことに、一時的にボスニア・ヘルツェゴヴィナへ入る。10キロもあるかないか程の短い区間。ボスニアと聞くとすぐに紛争を思い浮かべてしまうが、最南部のこのあたりでは、その爪痕を見るようなことはなかった。あったのは、それまでと何も変わらない小さな町の風景と、町はずれにある小さな土産物屋。そのお店は、観光客を見ると、すぐにチョコレートの試食を勧めてくるらしい。特に日本人旅行者の一団が来ると、執拗に勧めるのだという。チョコレートはいらないけど、せっかく入国したんだ、レッドブルでも飲もうと店内に入った。早々に噂のチョコレートが山のように積まれていた。右側の壁に沿って冷蔵ものが並んでいる。積極販売は無し。伸ばしっぱなしの髭が効いたか。左側面は生活用品。奥には冷凍もの。チョコの山を除けば、日本のコンビニエンスストアと内容はほとんど変わらない。冷えたレッドブルを二本とコカコーラを一本、レジ横の怪しげな煙草を一箱、支払いはユーロ可だ。せっかくだからおつりはマルカ(ボスニア・ヘルツェゴヴィナの通貨)でもらえないかと頼んでみたら、快く応じてくれた。こういうのがうれしい。駐車場でブランコとレッドブルを注入。もう夕方になっていた。

 海の方角南向き、夕日がとてもきれい。アドリア海に浮かぶ小さな島々が見えて、そのうちの一つが、夕日をうまく吸収して、小さなモンサンミッシェルを思わせるたたずまい。海を渡ればそこはイタリア。ちょっと肌寒いのは、思いを馳せるのに丁度よかった。陸の方角北を向けば、その先にはボスニア紛争の爪痕残るモスタルやサラエボがある。今夜の宿はドゥブロブニク。確かに一度は行ってみたかった場所の一つだけど、もっと深く引き付けられる何かを、北の方角に感じ始めていた。世界遺産もほどほどに、明日はそっちへ向かってみよう。

つづく

Mateo=Rich

2011-02-18

イストラ半島紀 8:スプリットの夜

8スプリットの夜

 スプリット内にブランコの友人は何人いるのか。本日二件目のブランコ関連のお店へ向かっていた。市街地にある日本人が経営するというアパートメントホテルから、北北西に伸びる通りを進んでいる。市街地を抜けると、大豪邸が並ぶ富裕層ゾーンに突入し、個人の所有とは思えない程の広大な庭が競うかのように続いている。ここまで来ると庭というより森だ。富裕層の森を過ぎると、次は生活感あふれる集合住宅ゾーンに入る。不思議に思うのはベランダがないことだ。エアコンのファンが外壁に直接くっついている。ここではエアコンの設置も命がけかもしれない。宙吊りのエアコンゾーンを抜けると、突然巨大な競技場が現れる。日本でも知られている通り、こちらではサッカーが熱い。ブランコの話では、ライバルであるザグレブのクラブチームとの試合の日は、車を乗り入れない方がいいらしい。ナンバーによっては襲われるのだろうか。この恐ろしいフーリガンゾーンの西側には、のんきなヨットハーバーがあって、それら両極端な二つのゾーンを見渡せる位置にお店はあった。お昼のお店も小さかったけれど、ここはさらに二回り程小さい。レストランというよりは、日本でいう飲み屋のイメージで、完全に地元仕様だ。入り口は両扉、奥に開くタイプ。ちょうど扉が当たらないぎりぎりの位置には、もうテーブルがある。顔を近づけないと外が見えないくらいの小窓が二つ。ボロボロのワーゲンが停まっているから景色といえば日に焼けた車の塗装が見えるだけだ。こいつはいい。こういうのを待っていたんだ。郷土料理もほどほどに、酒を飲もう。そんな風に、愉快で長い夜がはじまった。

 小さなグラスを満たしているのは自家製の酒。ラキヤという種類らしい。フレーバーにハーブを加えているのがこの店の特徴だと言っていた。やや粗めの苦みが喉の奥から鼻に向かって一気に抜けていく。これが自慢のハーブフレーバーだろうか。うまいというよりは癖になりそうな味だ。ラキヤがまだ残っているうちに、大皿が三つ運ばれてきた。もうテーブルはひじをつく余地もない。スープにはまたしても手長エビ。こんなに早く再会するとは。そして生ハムに魚介のサラダ。オリーブがいいかんじだ。いつの間にかグラスも空いている。魚介となればワインは白だ。イストラ産のワインはあるのだろうか。互いがグラスを軽く持ち上げると、夜がまたひとつ深まるのを感じた。

 テーブルには空いたボトルとグラスしかない。いつの間にやら二人はすでに深いゾーンにいる。おぼつかない足取りでカウンターへ流れ込んだのはブランコだ。自然と後に続いてハーブ入りのラキヤを再び、こいつがたまらなくうまい。今度はなんだい、メンバーが一人増えているじゃないか。知らないうちにブランコの友人が加わって三人体制。お店の切盛りはいいのだろうか。そんな心配をよそにブランコは実にシンプルに友人を紹介してくれた。マリオといって、とてもいい奴らしい。こんないい奴らと飲めて、俺は幸せだと二人に伝えた。それ以外に何を話していたかはあまり覚えていないが、マリオの風貌は忘れようがない。チャーリーブラウン。実写のチャーリーだった。小柄で小太り、口の周りをぐるっと一周髭が茂っていたのは店の雰囲気に合わせたのか、そこがチャーリーとの唯一の相違点だと言える。人数も増えてラキヤの夜は深まるばかり、もう何度目の乾杯なのかもわからない。メイン照明は消され、明かりはカウンター上の古びたランタン一つだけ。このクールな演出は誰の仕業か。当然他の客などいない。話がスプリットで水揚げされる海老の話になったとき、始まったのはブランコ劇場。老人が昔話を話すように、慌てず、どこか厳かな口調での語りだった。時は1984年。サラエボオリンピックが開催された年までさかのぼるらしい。友人のボートでアドリア海沖へ、当時巷で噂になっていた巨大海老を、ブランコが素潜りで捕獲した、という内容の完全なるフィクションだった。両手を大きく開いて、その巨大さをアピールするブランコと、それでも表現しきれない部分を、友人マリオがさらにその両手でもって補っていた姿が傑作だった。まるでスーパーマリオブラザーズ。その海老は、聖火で焼いたのだとマリオが付け加えていた。兄貴分のいいアドリブだった。フィクションがありなら、こちらはこちらででっかいことを言ってやろうと、かつての黄金の国ジパングを築き上げたのは俺の先祖だ、と吹かしてやった。そして日本人は聖火で海老を焼いたりしないこと、焼くのであれば、七輪というコンロを使うこと、そしてネタはマツタケかサンマであることを補足した。二人は声を上げて驚いてくれた。最高にいい奴らだと思った。このまま明けなければいい。そんな風に思う、愉快で長い夜だった。

2011-02-15

イストラ半島紀 7:スプリット歴史地区

7スプリット歴史地区
 お腹がすいた。スプリットでの遅めのランチは、ブランコの知人が営む小さなレストラン。メニューは海老らしきものがのったトマトのパスタだった。カタカナでも表記のしようがないような、良くわからない単語を言っていたから、おそらくその海老らしきもののことを言っていたのだけど、結局何もわからなかった。少なくともシュリンプとは言っていない。経験から予想するに、多分あれは手長エビだ。味はとてもおいしい。トマトの酸味も絶妙だった。お腹はいっぱい外は陽気。宿ならいくらでも空いてそうだ。今日はこの町でゆっくりしよう。

 夕方落ち合う約束をして、この旅初めての別行動。ディオクレティアヌスの宮殿近くのターミナルで車を降り、宮殿入り口に向かう緩やかな坂を歩いて行くと、なんだか過去に味わったことのない、不思議な感覚に落ちていった。宮殿の外壁に沿って立ち並ぶ露店群は日本で見るフリーマーケットとほぼ同じ景色。外壁の窪みという窪みには、有名ブランドがビルトイン形式で軒を連ねているが、少し視線を上げると、帝の宮殿のいたるところから、洗濯物が干してあるのが見える。この独特なハーモニーが何とも言えない。旧市街に洗濯物はよく見るけれど、ここは一味違う。城壁の穴ぼこから洗濯物なのだから。どこかの教授がうまいことを言っていたのを思い出す。ここは生きた遺跡なのです。

宮殿内部は正直想定の範囲だった。うろうろしているのは観光客ばかりだし、そのほとんどは団体で、現地ガイドと、通訳を兼務する旅行代理店の人が各一人というシステム。盗み聴きしといて申し訳ないが、ガイドブックか歴史の教科書で事足る内容が多かった。現地まで来ているのだから、歴史のうんちくに特化しない方が面白いのではないか。どんな場所にも、ちゃんと現在が進行しているのだから。要塞と呼んだ方がそぐうかもしれないこのタフな宮殿の城壁に住むには、どんな手続きとコネクションが必要なのか。そっちの方が興味深い。物干しは別チャージだろうか。
 海岸があればどこでもそうかもしれないけど、アドリア海沿いの町では、海に沿った散歩道をよく見かける。オパティアでの散歩が爽快だったから、海沿いを歩いてみようと宮殿を後にした。車を降りたターミナル付近から、小さな湾に沿って西へ歩くと、そこからスプリットのハーバエリアが続いていて、観光ホテルやらカフェやらが立ち並んでいる。ザ、観光地。せっかくの中世の街並みが厚化粧。そんな印象だった。そうはいってもここはヨーロッパの観光地。モデルのような金髪美女にサングラスだ。待ち合わせまでの残り時間、空腹のカプチーノを味わおう。多めに砂糖を突っ込んで。

つづく

Mateo=Rich

2011-02-12

2011.02.12 イストラ半島紀 6:ミッシェルを聴いて

6 ミッシェルを聴いて
 穏やかなアドリア海とそれに沿って続く散歩道。カモメ系統の鳥が数羽、この国でも鳥類は朝が早い。綱無し首輪有りの犬が一頭、飼い主らしき人がいるが、続柄を裏付けるものは確認できないほど遠い。古くからのリゾート地オパティアに似つかわしくない安宿の一室で、なかなか目覚めないクロアチアン一人、名前はブランコ。遠くに見えるのは対岸の町。この辺りは小さな湾になっているから水平線は見えない。夜が明け新しい朝がフェードインするのを眺めながら、町の時計台へ向かって飛んでくる魔女と黒猫を待っているジャパニーズが一人。それが僕。恥じらいもなく大好きな映画の風景と重ねてしまう、そんな気持ちにさせてしまう表情がオパティアの朝にはあった。

 結局昨日はブレッドを出てから特に観光することなくひたすら南下した。途中、ガソリンスタンドとセットになったコンビニエンスストアに数回停まって、疲れたブランコをレッドブルで励ました。レッドブルは国籍を選ばないようで、ブランコはとてもハイになっていた。恋人の話を少なくとも2時間は聞いていたように思う。しまいには自分をクロアチアン、シューマッハだと言い出してきかないほどの効き目だった。しかし反面、急激に登れば下りは急降下。なんとかホテルに転がり込んだ後、わずかな酒で眠ってしまい未だ起床しない。疲れたのか酔ったのか。後者であれば相当弱い。この旅の終わりまでに、一度は二人でゆっくり飲みたいと思っているのに、実現するだろうか。羽馬ブランコの復活を待つしかない。
 
 海岸沿いのオープンカフェで、地図を広げ考えていた。ここからのルートをどうするか。予定では、イストラ半島を海岸沿いに進み、イタリア、トリエステを目指すことになっているが、クロアチア方面にアドリア海を下れば、あのドゥブロブニクがあるじゃないか。しかも、ブランコの話では、クロアチア本土とは接しておらず、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ領を挟んだ飛び地になっているという。これは面白そうだ、それに今回は旧ユーゴを行く旅なのだから、むしろそちらを選ぶべきだ。


 どれくらい走っただろうか。確かに美しいこの海岸通りも、かれこれどれくらい同じ景色なのか。そして、どれくらいの間、二人は言葉を発していないのだろうか。道は右へ左へ緩やかなカーブの連続、右にハンドルを切るたびに、ブランコの大きめのサングラスがチカチカ日差しを反射する。唯一表情をうかがえるかもしれない口元は、常に半笑いの表情でガムをクチャクチャやっている。無機質に過ぎるそんな時間は、悩める自分を、現実世界に連れ戻し、じわじわと嫌らしく、人生について考えさせる。どこへ向かえばいいのか。左手に続いていた石灰岩の大規模な石切り場を過ぎると、視界が一気に開けた。車内にはいつからか、緩やかな音楽が流れている。ミッシェル。ポール・マッカートニーの抜けた声は、掴みどころのないこの海岸線に良く合う。古いナンバーに聞き入りながら、若き日のポールのアーティストライフをイメージしながら、少しずつ原点に戻ろうとしている自分がいた。ポールが最終コーラスを終えようとしたとき、ようやく見えてきた大きな町がある。そこはスプリット。ブランコもうれしそうに、何かを叫んでいたが、何を言っていたのかはわからない。





つづく

Mateo=Rich

2011-02-09

2011.02.09 イストラ半島紀 5:贅沢な男

5 贅沢な男

 一時間もたっていない。最初に立ち寄った素朴な町、そこはブレッド。美しい湖と、小高い山の岸壁に立つブレッド城。日本でもよく知られているスロベニアを代表する観光名所。ブランコのルノーは町の緩やかな坂道を下り、湖の外周路に入った。それとほぼ同時に飛び出した片言の日本語が傑作だった。「ニッポンジン シロスキィ」
思わず吹き出してしまう。シロスキィなんていう名前は日本人にはいない、と言いかけたけど、ここはひとつ彼の精一杯の日本語を受け止めようと「日本人、城好き」と解釈した。
普段は団体客用の観光バスに乗ることもあるブランコだから、客やら添乗員やらにいろんな日本語を吹き込まれるのだろう。確かにそうかもしれないな。日本人は城が好きかもしれない。ましてヨーロッパの古城となればなおのこと。

 ブレッドといえば、どうしても見てみたい場所が一つだけあった。旧ユーゴのカリスマ、チトーの別荘で、今はホテルになっている。チトーは数ある別荘の中でも、このブレッド湖畔のものを愛したと聞いたことがあった。この場所にこだわった理由は二つ。一つは、旧ユーゴの諸国を訪れるにあたり、チトーという人物に関心が高かったこと。もう一つは、チトーが死去した1980年。その年は僕自身の誕生年。同じ年に彼は死に、僕は生まれた。何の脈絡もないけれど、チトーはどうしても気になる人物の一人だから。実際に行ってみると、別荘はとても立派だったけど、チトーのカリスマ性を感じさせる何かがあったわけではない。それもそうか、ここは別荘なのだから。ここで心を休めながら、窓枠に綺麗に納まった城と湖を眺めながら、独自の思想を創造していったのかもしれない。しかしこれ程までに美しい景色だから余計に、その後の内戦がとても悲しい歴史であるように思えてくる。そんな角度から、ユーゴ体制そのものが、チトー個人のカリスマ性によって維持されていたという皮肉を充分に感じさせる場所でもあった。こうなってくると、いつかチトーの生地へも行ってみたい。クロムヴェッツというのどかな田舎町らしい。

ブランコのルノーは湖畔道路でも快走を続けた。チトーの別荘からしばらく行くと、道は、ブレッド城への入り口までのしばらくの間湖からは遠ざかる。可愛らしい家が集まった小さな集落が点在していて、ほとんどの家の庭にはリンゴの木が植えられている。牧地も多く、所有者のわからない羊が要所ごとに固まっている。とてものどか。たまに視界が開ける度に、ブレッド城が見え隠れして、少しずつ近づいているのがわかる。寄っていこうと誘うブランコ。そりゃそうだ、せっかくここまで来たのだから、城から湖を一望しようじゃないか。

 城からの眺めは美しかった。周辺を一望できるパノラマ。湖のエメラルドグリーン。小さく見えるオレンジ色の屋根。足元には石畳み。文句のつけようはない。ただ、ブレッドの景色で、鮮明に心に焼きついているのは、チトーの別荘からみた景色。城は住むより眺めるものか。チトーはとても贅沢な男だと思った。なんだかんだ昼下がり。オパティアまではどれくらい。先は長い。小さなルノーの陸路は続く。

つづく

Mateo=Rich

2011-02-06

2011.02.06 イストラ半島紀 4:朝、上々 

4 朝、上々

 とても爽快、心地の良い朝。ホテルの朝食はそんな朝にふさわしく、とても優しいメニューだった。ふわふわの卵にハムやらソーセージ、サラミなんかも添えた。パンも種類が豊富だから、ハムとの組み合わせを楽しめた。コーヒーは日本のファミリーレストランなんかでよく見かけるあのマルチマシーンが設置してあって、こちらも種類は豊富。安宿でもこのスペックなら十分じゃないか。ユーロ圏だから日本と物価はほぼ同じ。日本の同等のビジネスホテルよりいいかもしれないな。そんな風に感じた。

 食後、ブランコの誘いにのってホテル周辺の散策に出ることにした。とっておきは目の前に広がる湖だった。ヴェルダー湖といって、この辺りでは一番大きな湖らしい。ブランコは他にもたくさんの地域情報を提供してくれた。この地域には、他にも小さな湖が点在していること。目の前の幹線道路を北へ少し行くと、‘モーツァルト通り’という名の道があり、モーツァルトとの関係は不明であること。加えて、この辺りに関係があるのはむしろ、ブラームスであることなど。確かに、創作活動に打ち込めそうな、落ち着いた美しい景色がそこにはあった。

 ホテルに戻り地図を眺めていると、どうしても気になることがあった。予定では初日の宿はスロベニアのはずなのに、ここはまだオーストリアではないか。ミュンヘン上陸からまだ半日。昨夜に続いて早くも二度目のブランコマジック。これはなんだかおもしろいことになってきたぞ。こうなりゃどこへでもつれていけ。哀愁程度の程よい不安と、突き上げてくる未知への期待で、旅気分はいよいよ上昇気流に乗り始めている。快走ルノーに乗り込んで、アウトバーンを一気に南下しよう。アドリア海まで突き抜けんばかりに。今夜の宿はオパティアだ。半島付け根のリゾート地。移動距離が距離だけに、寄り道候補はあまりない。

つづく

Mateo=Rich

2011-02-03

1011.02.04 イストラ半島紀 3:通過駅 

3 通過駅
 ミュンヘンは雨。とても美しい空港でビールがうまい。そして何より12時間ぶりの煙草が格別だった。今夜の宿はスロベニア。ここからオーストリアへ小型機で入り、そこから先は迎いが来て陸路の予定。まだしばらくかかる。オーストリアまでは1時間程度らしい。夜だから噂の景色は楽しめそうにないな、せっかくのルフトハンザ なのだから、ドイツビールに的を絞ろう、と方針を固めた。
 ミュンヘン乗り継ぎは実にスムーズ。ドイツのハブ空港は見事に機能しているのか、たまたまなのか。いづれにしても心地よい気分で‘ビールと行く空の旅’へと向かった。
 窓に映る自分とビール。ぐっとガラスに顔を近づけると、街の明かりが見えた。小さな町が点在しているのがよくわかる。それぞれの町にそれぞれの人たちがいて、それぞれの日々を送っていることを想像すると、それらすべてをひとまとめに飛び越えていってしまうことが、とてももったいないことのように思えた。特急列車なんかに乗ると、気になる通過駅が必ずあるけど、ちょうどそれに似た気持ち。
 飛行機が着陸態勢に入ると、これまでとは比べものにならないほど大きい町の明かりが見えてきた。どうやらここがクラーゲンフルト(オーストリア)らしい。空港横、イケアが印象的。どこで見てもイケアはでかい。こじんまりした空港だから、その分よけいにイケアをでかく見せるのだろうと分析しながら、中部空港から預けっぱなしの荷物を受け取りターミナルへ出た。
予定では、クロアチア人でブランコという名の案内人と、このターミナルで落ち合うことになっている。それらしい人は数人いるが、日本人などほとんどいないこの場所、この時刻。向こう側から気づいて声をかけてきてもよさそうなものなのに、そんな気配は全くない。そんならまあじっくり待とうじゃないか、今にやってくるだろう。と、ターミナル周辺を散策することにした。町は自然が多く、北欧を思わせる雰囲気。後からブランコに聞いた話では、ウィンタースポーツも盛んだという。トップシーズンにはわずかに時期が早いようで人はまばら。一月後には灯るだろう街灯が薄暗い通りに規則正しく並んでいた。大きく左へうねりながらアウトバーンへと続く道。その道をブランコが乗ったルノー車がやってきたのはしたのは、空港到着から40分後のことだった。
 現地時間夜10時。ブランコと行くイストラの旅の始まりだった。

つづく

Mateo=Rich

2011-02-02

イストラ半島紀 2:星はまばらか 

2 星はまばらか

 ジャンボジェットの窓には無数の星が広がっていた。到着すると現地は夜の九時前後、この十二時間をどう過ごすかが時差克服のカギだ。それにしても、この見事なパノラマを見ていると夢の世界へ引き込まれそうになる。地上ではありえないが地平線やら水平線は、はるか下見えない。なるほどそりゃ見事な星空なわけだ。そんなことを考えながら、ようやく眠気を受け入れることにした。機体はまだ中国に差し掛かったあたり。

 特に夢も見ない穏やかな眠りから覚めたのは、膝の上の雑誌が落ちたからか、機体が少し揺れたからか、また、もしかしたら、機体が揺れて雑誌が落ちたのか、いや、もしかしたら、揺れてもいないのに雑誌が落ちたのか、わからない。要するに寝ぼけていた。水を二口。こうして空を飛んでいると、いったいどこへ向かっているのかわからなくなる。


道路も標識もない、たたどこへとなく飛んでいるように思える。すぐにそれは最近の自分と重なった。いったいどこへ向かっているのか。いずれ機体は目的の地へ見事な着地を決めるだろ。そう考えると、この旅の最後には、何か新しい自分に到達するかもしれないな。

 少し雲が出てきたみたい。星は少しまばらか。旅の目的を確認しながら、機体はいよいよ東ヨーロッパに差し掛かっているようだ。

つづく

Mateo=Rich